AlumiCua



絵の言語化について

2014年03月22日 14:44

お久しぶりです、えめらねです。

最近は仕事ばかりであまりサイトも更新できてませんし、ピクシブ等にも趣味絵を

あげられておりません・・・もう少ししたらできると思います!


さて、今日はちょっと真面目なお話。ツイッターに書こうかなーなんて思ったんですが

変なものをTLに垂れ流すのもアレなので、見てる人がいるのかもわからないここをチラ裏代わりにw

僕は人の絵や、自分の絵に対する感情とか表現なんかを言葉にしたがる人間なんです。

「この絵のここが素敵」とか、自分が最近こんな事を考えているとか…そういった不確かなときめきとかモヤモヤした部分を

自分なりに「言葉」に置き換えて「理解」した気分になりたいのです。もっと言えばラッピングして引き出しにしまって、

あとから取り出して使う時に選びやすくしたい感覚なんですよね。

でもそう言うと人は「絵はパッションだ」とか「芸術を語るのはナンセンスだ」なんて言う訳です。口を動かす前に手を動かせ

なんて事を言われる事もあるくらいです。朝から深夜までずーっと動かしてるんですけどねw


そうは言われても、でもやっぱり、僕は「絵は言葉にできる」 と思うんですよねー。

だって僕らの描くイラストって、バケツに入った絵の具をブっ転がして、手でワシャワシャ無心で広げて

「今日の俺の絵!!!」って言って魂で完成させるような絵じゃないじゃないですか。

キャラの性別があって、年齢があって、仕草があって、シチュエーションがあって、構図があって、色があって、光があって

自分の描き方があって、自分の塗り方があって、尊敬している絵描きさん達の絵が参考資料だったりして

写実的に描くのか、ちょっと全体的にデフォルメするのか、人物を目立たせたいから背景をちょっとぼかすのか

言葉にできないんじゃなくて、そういった普段頭でめっちゃ考えてるものを説明するのが面倒だから、全部ひっくるめて

「ノリ」の一言で片付けてるだけなんじゃないんですか? と思うんです。

 

「絵を言葉にする」

そう言うと人は「その言葉を見れば万人が客観的に全てを理解できる魔法のことば」なんてものを想像しちゃうんですが

でもそんな極端なものあるはずない、それは大前提です。


ではどんな時「絵」は「言葉」に置き換えられるか。

それは

「それを考察したい、言葉にしたいと思う気持ちがある」言い手と


「それを知りたい、一緒にそれについて考察したいと思う」聞き手


この二つが揃った時、どんな言葉でも、その二人の間においては「絵」は「言葉」になると思います。


例えば自分の描き方を言葉で表現したい人がいて、その人の描き方を知りたい人がいるとするじゃないですか。

前者が…何でもいいですが例えば自分の絵を「大根」だと言葉で表現したとする。普通の人は意味わからんです。

でもその真意を、本気で知りたいと思った人は…きっとその人と言葉を交わすうちに見えてくると思うんです。

その「大根」の意味を共有できると思うんですよ。

「お前の考えなんて聞きたくねえ」 と思うのはもちろん自由です。そんな場でご高説を垂れ流すのはNGですよね。

でもそれは「言葉で表現できていない」のではなくて「そもそも受け取る側に理解する気が無い」のです。

だから上記した二人が集まる場で、その飛び交う言葉を鼻で笑って、「芸術を言葉にして無粋だなあ」なんて思うのは

やめて欲しいですね。君が人の言葉を本当に理解しようとしていない、興味がないだけなんだよ と。

まぁ問題はそれを聞きたくない人が多くいる場で、空気を読まずに自分語で「大根」と言ってしまい

「?????」を皆に与えてしまう人 って感じでしょうかねw

おわりますw