AlumiCua



人のアドバイスを「聞く」ということ

2015年11月09日 15:03

ちょっと変な話かも知れませんし意見が違う人も多いと思いますが

あくまで個人的意見として書かせていただきます。

 

絵かきはよく「人の意見を聞かないといけない」とか「自分の中で凝り固まってはいけない」とか

「嬉しい言葉だけではなく批判にも感謝しなければいけない」みたいな事を言う人も多い、もしくは

そう言われる事が結構あります。

なるほどたしかに、他人からのアドバイスや意見というのは大事ですし、自分ひとりでは見えない事や物

人の目線からでは見える事も多いと思いますし、それは正しい事だと思います。

 

ただ私はこの半年ほど、その「意見」という名の他人からの「悪意」に嫌気がさして、人からの

感想などを拒絶した時期がありました。今でも多少モヤモヤするそれを、自分の中での整理として

なんとなく書いてみようと思います。

 

そもそも「アドバイス」とはなんぞや?というと、それは「相手の立場になって、いかに相手が

現状より良くなるかを一緒になって真剣に考える行為」であると私は思います。

(というか色々な方を通してそう学びました)

 

そして他人にアドバイスを言うには一定の交流期間相手への配慮が必要であると思います。

この交流期間とは、相手が何を考え、どんな絵を描きたいのか、何をしようとしているのかを

知らなければそもそも相手にとって一番良さそうな道を示してやる事なんてできないと思われる為。

相手への配慮というのは今それを言うタイミングか、という問題。

(例えば締切3日前で数をこなさないといけないようなときに、1枚の重箱の隅をつつくような事を

言うのが適切であるかどうかや、相手の精神状態とこちらの言葉の強さなど「自分が言いたいから」だけの

一方的にならないための配慮)

 

それを踏まえた上で「意見」は「アドバイス」へと昇華されると思います。

だからこそ少し耳に痛い苦言なども、受け入れるにしろしないにしろ

そこまで考えてくれた相手の気持ちに応える意味でも、誠意を持って

しっかりとその本意を吟味する必要があると私も考えています。

 

それが私の「アドバイス」を「聞く」ということです。

※一般の方からの「うまい、可愛い」や「下手くそ、可愛くない」はここでいうと意見です。

 

しかしこの広いネットには、アドバイスとは名ばかりの「好みの押し付け」や

自分に都合よく他人を「最適化」しようという意図であれこれ言ってくる方も

もちろん多いわけですが、本来の「アドバイス」に混ざったそんな人達の

意見を両方とも等しく吟味してやれるほど、私は器の広い(要領の良い?)

人間ではありません。

 

そういう方々に愛想笑いでごまかそうとしていると、皆口をそろえて「俺の意見を聞かないなんて」

「身勝手なやつだ」「調子に乗っている」「他人の意見に耳を傾けない絵かきはダメだ」とか言います。

そういうのが面倒臭くて、一時期もういっさい言うなと言って逃げてしまいました。

 

一体どうやってその意見が、本当に私を良い方に導こうとしていると信用できるのか?

貶めるために言う人だっているでしょうし、私が目立てば目障りだから消えろという意図で

変な事を言う人もいるでしょう。当然の事ですが、それらを自身に取り込むかどうかは

主観で取捨選択する以外どうしたって出来ないのです。

 

だからどう考えても「絵描きは人のアドバイスを聞かないといけない」という理想論はそうとして

それを呪いのように盲信するのではなく、開き直って、どれくらい相手を信頼しているか、

信用しているか、ぶっちゃけ好きか嫌いか、気に食わないかでその意見を吟味する時間を

変える事しか、最終的にはやっぱりできないんじゃないかなぁと今のところは思っています。

(もちろん内容にもよります。ぐう正論の場合は受け入れざるを得ないですから)

 

だから私も他人に何か意見をして軽く流されたら「こいつは俺様の有り難い意見を聞かない馬鹿だ!」

とか絶対思わず、意見をアドバイスに昇華できなかった→信用に足りてないんだな、と思うようにしたいです。

自分がそうだから

 

 

皆さんはどうでしょうかね。

 

長めの文章を書くと途中で疲れて尻すぼみになるの悪いクセだな…w